長年使った炊飯器の末路
ひとり暮らしを始める時に、家電一式を親に買ってもらった。テレビや冷蔵庫なんかは、10年以上経った今も健在である。炊飯器も長期選手の一人であったが、悲惨な末路を迎えてしまった。今日はそんな炊飯器の末路について話したい。
類は友を呼ぶとは本当だ。私は生粋のズボラ女子である。ズボラ女子の友人も、これまたズボラ女子である。
ある日、ズボラな友人から衝撃的な話を聞かされた。
彼女は学生時代、親元を離れひとり暮らしをしていたのだが、ある日を境に部屋に異臭が漂うようになった。
生ゴミは捨てたし、毎日とはいかないものの掃除もしている。
はて、匂いの原因は何であろう。
不思議で堪らなかった。
そして、匂いの原因がわかったのは、久方ぶりにお米を炊こうと思った時であった。
「そうだ、久しぶりに米を炊こう!」
そう思い立った友人は、ふとあることを思い出したのである。
―――――――最後に、炊飯器を使ったのはいつだっけ。
――――――あ、あああああああ!一週間前に、米を炊こうとしてそのままだった!
恐る恐る炊飯器に近づくと、明らかに部屋に漂う異臭の原因がそこにあった。
————やばい。
———開けたくない。開けてはならない。
——し、しかし、開けねばならない。
激しい葛藤のなか、彼女が恐る恐る炊飯器の蓋を開けると、
そこに、
腐海が広がっていた。
生まれたばかりの小さな生き物たちも蠢いていた。
早々に腐海を退治するのを諦めた彼女は、炊飯器を丸ごとゴミ袋に入れて捨てた。
「そんなことあるぅ?」
当時の私は、同じズボラ女子であろうとも、少しでもマウントを取りたいと思っていた。
私はこの子ほどではないな。
そんなレベルの低い安堵感を覚えたのであった。
そんな若かりし日から早5年。社会人5年目のことである。
東京は、蒸し返すような酷暑だった。
当時住んでいた部屋は、鉄筋コンクリート造のマンションで、音漏れが少ないというメリットはあったが、部屋に熱気が籠りやすいというデメリットがあった。
会社から帰宅すると、蒸しかえるような暑さに慄く。
生ゴミが入ったゴミ袋をそのままにしようものなら、コバエの子どもたちが育っている。
全くどこから湧いてきたのか不思議なものであるが、時々コバエが2匹寄り添って飛んでいる姿も目撃するのだから、きっとまさにこの部屋で愛を育み、その結晶が生まれているのであろう。
コバエの子どもたちが生まれぬよう、夏は特に生ゴミが入ったゴミ袋には気をつけた。しかし、袋を閉めても、どこからともなくコバエが侵入し、愛の結晶を産み落としていく。
一番の対処方法は、ゴミ袋をすぐに捨てることであるが、有料ゴミ袋であるため、ゴミ袋は目一杯ゴミを詰め込んで捨てたいものである。
そうだ、一時的にベランダに出そう。
ゴミ袋を蒸しかえる部屋から一時的に撤去するという名案を思い付いたことで、コバエが私の部屋でランデブーすることも、愛の結晶を産み落とすことも無くなった。
相変わらず部屋は蒸し暑いけれども、エアコンの電源を入れて、しばらく待てばそれも解消される。一時の我慢である。夏の部屋での生き抜き方を学び、たくましく生活していた頃でもあった。
とある8月の日、コバエたちが部屋を飛び交い始めたのである。
一体どうして。
理由がわからなかった。
生ゴミはない。部屋もきれいではないが、汚くもない。
一体どこから。一体何が起こっているのだ。
とりあえず、コップに水と麺つゆを入れて自前のコバエホイホイを作ったが、一向にコバエは減らないのである。
逆に、このコバエホイホイがコバエを呼んでいるのだろうか。
理由がわからぬまま、コバエが飛び交う部屋で、不快感を感じながら過ごした。
そして理由がわかったのは、待ちに待った休日を迎えた時であった。
この忙しさでは平日に自炊は難しい。
作り置きとして、ご飯を炊こうと気力を振り絞って、炊飯器の釜を食器棚から取り出そうとした。
「あれ?炊飯器の釜どこに置いたかな。」炊飯器の釜が見つからない。
炊飯器の釜が見つからない時は、決まって炊飯器にそのまま差し込んでいることがほとんどである。
―――そう言えば、一週間前にお米炊こうとしてそのままにしていた!
よくよく観察すると、炊飯器のある所にコバエが多く飛び交っている。
いやな予感がした。
出来れば、何も見ずに居たかった。だが、そうは問屋が卸さない。
意を決して、炊飯器の蓋を開けると、
腐海は広がってなかった。
腐海は広がってないが、腐っていると思われる水に大量のコバエの子どもたちが浮かんでいる。
そして、蓋の裏面にも大量のコバエの子どもたちがいるではないか。
今思い出しても、背筋が寒くなる。
この大量のコバエの子らを退治できるだろうか。
否。
私にそんな勇気も実力もない。
その時、あのズボラな友人の話を思い出したのであった。
捨てよう。
炊飯器ごと捨ててしまおう。
ゴミ収集場の職員さん、ごめんなさい。
これが長年お世話になった炊飯器の末路であった。